「個と組織に好循環を、ありたい姿の実現をサポートする」スポーツ現場とビジネス界を行き来するハイブリッド型アスレティックトレーナーの一原さん
Rumiture製品使用者インタビュー企画”GrindeRs”
自分の目標を達成するために日々努力(Grind)し続けている人々=GrindeRs。
彼ら/彼女らが自分の胸の中に秘めた感情や物語はあれど、第三者が知る機会はなかなか無い。
この記事を通してGrindeRsのストーリーを知って頂き、共感や感銘が読者のGrindする力になれば幸いです。
Rumiture製品使用者インタビュー企画第10弾は海外での経験を活かして日本のトレーナー界に革新をもたらす一原克裕さんです。日本の大学卒業後は米国大学院に進学し、MLBの現場でも活躍した後、ご自身の経験を活かし米国に倣った日本のスポーツ現場改革やトレーナーのセカンドキャリア支援、働く人々への健康支援などマルチに活躍していらっしゃる一原さんに海外進出の軌跡、現在の活動内容や思いを伺いました。
ー所属とお名前を教えてください
一原克裕といいます。株式会社ALIGNE(https://www.aligne.me/)という会社の代表取締役をやってます。これまでは米国BOC認定アスレティックトレーナー資格を持ち、スポーツ現場でメディカルスタッフとしての活動が主でしたが、現在はスポーツ業界だけでなく、企業を通して従業員個々のウェルビーイングとパフォーマンスの向上をサポートしています。
ートレーナーとしての経歴を教えてください
2012年から2014年まで、メジャーリーグのシアトルマリナーズのマイナーリーグの球団でフルタイムのアスレティックトレーナーをやっていました。そこと合わせて2012年2013年シーズンは、ユナイテッドフットボールリーグという独立セミプロリーグのサクラメントマウンテンライオンズというデニスグリーンが監督だったチームでトレーナーを2年間経験しました。
2015年に日本に帰国をして、早稲田大学アメフト部のフィジカルコーディネーターという形で、2015年から2019年まで携わりました。2018年から武蔵大学男子ラクロス部のトレーナーという形でラクロス界に入り、現在までチームをサポートしています。2025年から東京理科大男子ラクロス部のハイパフォーマンスコーディネーターもスタートしました。現在、日本ラクロス協会医科学委員としても活動しています。
ーBRIDGEWATER州立大学にはどのような経緯で行かれたのでしょうか
大学院を卒業してから2008年に渡米をし、最初はハワイ大学に行ったんですけど、僕は早稲田大学ではスポーツ科学部ではなかったので、あちらの大学に入るための事前準備が必要で、1年間ハワイでその準備をしたっていう感じですね。2009年から2年間なので、2011年に卒業したのですが、途中でBRIDGEWATER州立大学に移ったという感じなんで、2年間のプログラムをハワイとBRIDGEWATERで合わせて卒業したみたいな感じですね。
ープロとしてのトレーナーキャリアを海外から始める人は珍しそうに思いますが、どうして最初から海外に行きたいと思われたのでしょうか
僕は早稲田大学の時は人間科学部だったので、そもそも日本のアスレティックトレーナーの資格を取る権利がなかったので、学生生活中はアメフト部のトレーナーとして活動しながら先輩や社会人の方から現場で教わったり、あとは図書館の本とかで自分で勉強するっていう形での4年間を過ごしてるので、僕の中ではある程度ちゃんとしたカリキュラムの中でやっぱりアスレティックトレーニングを学びたいというのは根底にあって、アメリカを選択したっていう感じですね。英語は全く話せなかったのですが、大学4年の11月23日の引退後TOEFLをやって、アメリカの大学に入るには65点がミニマムでも必要だった中で初回28点という点数を叩き出しました。周りのチームメイトにはアメリカに行くぞ!と言っていた手前、やばいという感じでしたね(笑)半年で頑張って65点まで上げて、7月にはハワイの方に渡米しました。
渡米した後も、解剖の授業とか半分ぐらいしか授業が聞き取れないですし、コミュニケーションもジェスチャー頼りでした。ただ、テストは勉強すれば点数取れるので、人の倍時間かけながら、日本語でインプットされている解剖のワードとかを全部英語に置き直すっていう作業をしてました。
トレーナーとしての前提知識は日本の4年間でだいぶインプットができてるっていうところがあって、言語は苦しいんですけど、ハワイ大アメフト部の現場での活動や、テーピングのスキルで他の学生よりもチームからの信頼を勝ち取ることができたからまだ良かったかもしれないですね。
ー人間科学部からアスレティックトレーナーになるというのは異例のことなのでしょうか
僕は高校時代は野球をやってたんですけど怪我がちで、筑波大学出身のアスレティックトレーナーの方に接骨院とかでサポートしてもらいながら何とか3年間やり切ったみたいなのがあって、大学ではトレーナーをやりたいと思いました。当時、元ソフトバンクの監督の工藤公康さんが西武で活躍していて、彼が筑波大で筑波の教授にトレーニングを見てもらっているのをテレビで見て、さらに筑波に興味を持ちました。2浪して、でも結局筑波には行けず早稲田に進学したんですけどね。アメフト的なテーピングもすればリハビリもして応急処置もするみたいなイメージのトレーナーを目指していたのでアメフト部に学生トレーナーとして入部しました。
先述した僕の浪人している最中にスポーツ科学部ができて、僕は入りたかったけど受からなかったという感じです。
ー野球とアメフトは現場感が違うとのことですがアメフトとラクロスはいかがですか
いわゆるコンタクトスポーツっていう枠の中で考えるラグビー、アメフト、アイスホッケー、ラクロス、その辺ですかね。なのでいわゆるコンタクトスポーツっていう意味では、アメフトでやってきた経験というのは、そのままラクロスの現場でも脳震盪もあれば骨折もありますし、メット、ショルダーも付けてますし、そういった意味ではすごく求められることは近しいです。活動中のトレーナーバッグの中身もほぼ変わらないんじゃないかなと思います。
逆に野球とかになると結構がらっと変わるってイメージです。野球はもう少し慢性的な課題が多かったりとか、ほぼコンタクトなしで、疲労蓄積型の怪我みたいなところであれば、トレーナーバッグ自体も今販売してるようなサイズの半分ぐらいのサイズで十分です。試合中もテーピングを急に巻くというのは限りなく少ないので、そういったものを常に自分の身に着けて置く必要がないというのと、ダグアウトにある大きな共有のトレーナーバッグで対応が可能です。
ー渡米してからはどのような遍歴で米国プロスポーツ界に進んでいきましたか
アメリカ留学を決めた理由は、日本のスポーツ現場の安全管理体制を整備したいということが最初でした。その中で安全の話を日本で浸透させていくために自分のアスレティックトレーナーのバックグラウンドが将来的に重要になってくると思っていました。
そして、アスレティックトレーナーを目指す上で多くの人間が目指す場所としてプロスポーツチームでのトレーナー経験があります。私も同様にその経験は積みたいと思っていて、インターンからまずはそのポジションを獲得するのを目指し、行動し、結果NFL,MLS, MLBと3つのプロチームでインターンを積めたことが、その後マリナーズに採用されるきっかけにもなったのです。
※一原さんの米国プロでのトレーナー活動歴については別途記事にさせていただきます!
ー米国BOC認定アスレティックトレーナー資格は日本のアスレティックトレーナー資格に比べて取りづらいものでしょうか
そんなことはないかと思います。米国BOC認定アスレティックトレーナー資格は、日本スポーツ協会アスレティックトレーナー資格と比べると試験自体に実技試験がないというのが大きな違いかと思います。また、大学院でしかプログラムを提供していないことも特徴の一つで、授業に加えて実習の時間が様々なスポーツや競技レベルで用意されているため、その中で現場経験を積んでいくことになります。試験自体はこのプログラム過程の中でしっかりと学んでいれば、問題なく資格は取得できます。
ー帰国後はどのような経歴を歩んでいらっしゃいましたか
帰国後はこれまでのチーム所属での働き方とは別の形で働くことを念頭に入れていたこともあり、数年アスレティックトレーナーとして複数のスポーツチームのサポートやパーソナルトレーニング提供などを行った後、前職であるベンチャー企業に入り、法人向けサービスの新規事業開発及び運営の仕事に切り替えました。日本のスポーツ業界へお金を流し込むことを自らの力で行いたい、それによってアスレティックトレーナーの働く環境の整備や選手達のスポーツを行う環境もより良くしていきたいと思ったことが始まりです。3年ほど法人向けサービスを取り扱ったことで、どのような枠組みでお金を生み出し、サービスに価値を見出してもらえるのかなど、これまでとは全く違う領域で多くの学びがありました。
その後独立をして、株式会社ALIGNEを設立しました。
前職で行っていた法人向け健康経営支援事業は引き続き自社でも行い、スポーツ関連事業も合わせて行っています。アスリートに対して行ってきたコンディショニング管理やパフォーマンスアップのノウハウを一般の従業員の皆様にも伝えていくことに大きなインパクトがあると思い、約50名ほどのスペシャリストと提携を結び、Wellness Design Firmという組織体で活動しています。スペシャリストにはスポーツ業界でも活躍をしている運動指導者、管理栄養士、メンタルスキルコーチ、スリープコーチなど多様なバックグラウンドを持った方々が集まり、組織としての企業と個である従業員のパフォーマンス向上に対してお手伝いをしています。
ーずっとスポーツ選手を見ていた中で働く方々の健康に興味を持たれたきっかけは何でしょうか
1番の僕の原動力は「「あるべきところにあるべきものを届け、待ち遠しい明日を創造すること」をお手伝いすることだったりします。
スポーツ現場での安全管理を啓発していく中でも、ここに専門家が一人いれば命が救えたのにとか、確かな知識を大人が持っていれば解決できたことなど多く目の当たりにしてきました。身体に関することも同様でヘルスリテラシーを持つ環境がなかったり、専門家へのアクセスがないまま、年を重ねていくとスポーツの世界では当たり前に実践されているコンディショニングの取り組みが全く一般の方には届いていないという現状があります。そういった方々へアスレティックトレーナーやその他の様々な専門家が出来ることは多くあるのでは?と感じ、働く方の健康に携わっています。
企業の中で健康施策を実施する上で行うアンケート調査の中でも、運動を全くしないっていう方々が6割、7割と大部分を占めることもあり、、身体の悩みも多くの方が抱えている。ただ、彼らがアクセスできるところが無いとか、どこで誰に何を聞いていいかわからないとか、何の健康情報が正しくて間違ってるのかっていうのを、今選べない世界に情報量が多すぎてなっていると思うんです。
なのでそこに企業という入口からしっかりとしたものを提供していく、届けていくっていうのは、より多くの人にそういったものを届けるやり方としてはすごく理にかなっているんですね。なので大企業で従業員さんが数万人いらっしゃるようなところに健康経営の支援という形で入ることができれば、その数万人に対してその必要なことを届けることができる、それはやっぱり個人に当たっていくよりかは圧倒的に広げられるアプローチなので、僕は法人向け事業を行うことを選びました。
あともう1点としては、トレーナーのキャリアでの話でいうと、スポーツ選手も同様にセカンドキャリアの問題、課題があると思うんですけど、トレーナーも同様にその課題はあって、大体35歳から40歳の間ぐらいで、みんなこの先このまま現場でやり続けるんだろうか、できるんだろうかみたいなことに必ず直面するんですね。そうなった時に、自分でコントロールすることもできるものもあれば、チームの体制が変わって出ざるをえなくなったとか、自分でコントロールできないこともたくさんあって、企業に属してるのと違ってそもそも社会保障がなかったり、年契約という不安定な状況でもあるので、そこで生き残っていくにはとてもパワーがいりますし、迷う人はすごく多いですね。その時にアメリカがどうなってるかと
いうと、スポーツ現場でやり切ったあとは、インダストリアルアスレティックトレーナーと言って一般の企業に雇われて、その企業の従業員さんの健康管理のために今までのスポーツ現場よりも高い給料をもらって働くことができるセカンドキャリアがあるんです。家族ができたりとか、自分のプライオリティが変わっていくっていう中で、土日にちゃんと休みがありつつ、必要なものが届いてない人たちに自分が今までやってきたことを届けに行くといった社会的意義のある役割を担うことに年齢やキャリアを重ねると思考が移っていくので、そういった働き方が欧米では定着しているんです。
ただ、日本にはその選択肢があまりないんです。スポーツでやった人たちがそこを辞めて、じゃあ全く経験のない一般企業に40代とかで就職できるかって言ったらやはり厳しいので、そこの課題を解決したいっていうのも一つあります。僕の会社ではスポーツで現場をやりながら、空いてる時に企業のトレーナーとして派遣で入ってもらうハイブリッドな働き方を提供しています。それによって新たな収入源にもなりますし、これまでとは違う領域でこれまでの経験を活かして新たな価値を社会に提供できると思っています。選択肢がないというのが一番不幸で、人間はその後成功しようが失敗しようが、自分の選択としてそれを選んで進んだっていうことが一番幸福度が上がるっていうふうに言われてるんです。なので選択肢のカード自体が今日本にない中でカードを増やしたり、カードがある中でもやっぱり自分はスポーツで60歳、70歳までやりきるぞ、という選択もできる業界にしないと発展は無いと思っています。僕がスポーツ現場を持ち続けてる一つの理由は、さっき言ったハイブリッド型みたいな働き方が実現できるんだよっていうのを僕が身をもって証明する必要があるので、スポーツ界でも代表レベルでやっていて、会社も経営していて、産業界にも何かをしてるっていう構図を見せ続けたいと思ってます。
ー様々な活動をなさっていますがその中でどのような信念持って活動していらっしゃいますか
アスリートもそうですし、一般の方もそうなんですけど、こうなりたいとか、こうありたいみたいな、それぞれ持っているはずで、ただ最近はそれをそんなに社会の流れも含めて、あんまり大っぴらに言えなかったりとか、抑え込む風潮にあると思うので、そこをちゃんと拾って、その実現に向けてサポートする、伴走するということに重きを置いて様々な活動をしています。
ートレーナー人生での挫折はありますか
これといった大きな挫折はなかったかも知れません。海外で学ぶことを決めた時からやりたいことは大きくブレていないですし、一貫性を持った選択をしてこれたのかなと思っています。もちろん、異国でチャレンジする中での苦悩などはありましたが、今その経験を経て、予想ができない未来に向けて自分が何に注力して進んでいくのかは自らその世界を創造して行きながら進めているかと思います。
ー今後の目標や夢を教えてください
まだまだ会社でもやりたいと思っていることが全てできているわけではないのですが、Wellness Design Firmのメンバーを中心に様々なパートナー企業の皆さんとも連携して、新たな価値を社会に提供していければと思っています。一人ひとりが持っている経験や知識が様々な分野で生かされて、あらゆる人が活躍できる環境を作ることを目指したいと思います。